宇佐と言えば唐揚げ。美味しゅうございました。
宇佐には海軍航空隊基地があった場所であり、特攻機も飛び立ったそうだ。平和資料館の展示物は少なめ、今後の充実を望む。
昭和12(1937)年に中国との戦いが始まり、米国との開戦も必至の情勢であった昭和14(1939)年10月1日、宇佐海軍航空隊は艦上爆撃機、艦上攻撃機の搭乗員養成のための練習航空隊として開隊しました。
卒業後は実戦部隊へ送り出され、真珠湾攻撃などにも参加しました。
昭和20(1945)2月には、神風特別攻撃隊の中継基地にもなり、多くの航空機が宇佐に集まりました。
また、宇佐空でも神風特別攻撃隊が編成され、154名もの搭乗員が特攻出撃して戦死しました。
このような状況下で宇佐空は米軍の艦載機や爆撃機の空襲を受け、多くの命が失われました。
特攻兵器「桜花」の噴射菅だそうだ。戦後に排水管として使用されていたものを掘り出したそうだ。
宇佐市には戦争遺構も残されているようだが、案内看板なども少なく見学はやや難しい。今度はもう少し時間をかけて回ってみたい。
2016年1月17日 再訪
2016年1月17日に再度宇佐を訪れた。資料館の簡素な造りは相変わらずw、入り口が以前はシャッターだったのがアルミサッシになってた。
資料館に展示してあるのは、「零式艦上戦闘機」の原寸大模型でタイヤには実物の「疾風」のものを使用し精巧に再現されているそうだ。
特攻兵器「桜花」
桜花とは1名乗りロケットの特攻兵器。
単独では離陸も着陸も出来ず、他の航空機の胴体に吊り下げて上空で切り離し目標に向かう。
第721海軍航空隊は神雷部隊と呼ばれ、人間爆弾「桜花」を攻撃兵器とした最初の航空特攻専門部隊です。「桜花」を吊り下げる「一式陸上攻撃機」と、それを護衛する「零式艦上戦闘機」によって編成されていました。
昭和20(1945)年3月18日、最初の出撃命令を受けた神雷部隊は、宇佐海軍航空隊から出撃する直前に、米軍艦載機の空襲で「桜花」を搭載した「一式陸上攻撃機」の大半が被害を受け、この日の攻撃は中止になりました。
その後、宇佐基地では本土決戦に備えて「桜花」が配備され、終戦時には51機の機体が残されていました。
神雷部隊全体で、829名の搭乗員が戦死しました。
■宇佐海軍航空隊遺跡
滑走路跡。当時はもっと幅も広かったそうだ。
●城井1号掩体壕
城井1号掩体壕は公園として整備されている。
●掩体壕群
宇佐海軍航空隊があった場所には掩体壕が幾つも残されている。民家の倉庫や農機具倉庫として利用されているものが多いようだ。
●宇佐海軍航空隊落下傘整備所
住宅地の中に異様な建物が残っているが、落下傘整備所だった建造物。
壁には無数の機銃弾の弾痕が残っている。
●半地下式コンクリート造建物
半地下式のこの建物は配水施設又は電信室と言われていますが、何に使われていた建物なのかは不明なんだそうです。
これも半地下の造りになっていました。
説明看板などもなかったので、何なのか不明です。
●特攻隊慰霊碑
柳ヶ浦高校正門前に特攻隊慰霊碑があります。毎年4月16日に慰霊祭が行われているそうです。