熊本県玉名郡長洲町では3回ほど大きな海難事故が起こったそうだ。
■1792年津波災害■
1792年5月21日(寛政4年4月1日)地震により長崎県島原半島の山が崩れ、岩石や土砂が有明海に流れ込み対岸の長洲町に津波が押し寄せ約600名が亡くなったとか。 有名な「島原大変肥後迷惑」と言われる津波災害だったんでしょうね。
■明治26年暴風雨海難事故■
明治26年10月14日、沖合いで操業中の漁船が暴風雨に遭い320名もの死者を出したそうです。この碑には320名の名前が刻んであります。上天草市大矢野町しらと地区と串地区に多くの遺体が漂着し、住民の方々が丁重に埋葬した墓や碑が残されているそうです。
■明治28年暴風雨海難事故■
明治28年7月24日数多くの船が漁に出ていたそうですが、悪天候を察知した140艘は帰港したものの、そのまま漁を続けていた漁船の帰港が困難になり救助隊を向かわせました。しかし、漁民22名と救助隊の若者7名が波に飲まれ遭難したそうです。