久留米のかなり目立たない場所に山川招魂社があります。
久留米市山川町字茶臼山41番地
たまたま前の道を通った時に、小さい看板を見つけ行ってみました。久留米在住の人でも知らない人は結構居るんじゃないですかね。
入口というか鳥居です。
鳥居をくぐり石段を登ると爆弾三勇士の碑があります。爆弾三勇士のことを知りませんでしたので、ネット検索してみました。上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、日本陸軍独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵、三人の兵士が爆弾を抱えて突入し鉄条網を爆破して爆死、身を犠牲にして自軍の突撃路を切り開いたそうです。肉弾三勇士ともいうそうです。
当時は戦意高揚のためもあるのか美談として語られましたが、事故であり指揮官は部下を死なせてしまったと、後年までずっと気に病んでいたそうです。
大東亜戦争慰霊碑龍兵団と菊兵団の慰霊碑もあります。菊兵団の碑は三潴にもあって以前行ったことがあるのですが、精強部隊として名を馳せたというくらいの知識しかありませんので、今度調べてみたいと思います。部隊名に”菊”を冠することが許されるのですから、余程の凄い部隊だったことは容易に想像できます。
この山川招魂社には、第2次世界大戦だけでは無く西南戦争や佐賀の乱の戦死者を祀ってあるそうです。西南戦争は熊本県植木町の官軍墓地に行ったことがあります。しかし、恥ずかしながら佐賀の乱というものの知識は全くありません。、というか初めて聞いたような気さえします。もしかしたら学校で習ったことがあるのかもしれませんが、、、せっかくの機会ですので佐賀の乱のことも勉強してみたいと思います。